僕が理系なのに俳句を始めた理由について
物理学においては自然現象から本質的な部分を抽出してシンプルなモデルを立てたりする。
また、基本方程式を立ててそれを解いていくと豊かな理論の世界が広がっていて
その結果は単なる思考の産物ではなく
最初は知らなかったような自然現象とピタリと一致したりするのだ。
物理学をやっていく上では自然現象を数学を駆使して記述し理論を展開していく。
自然現象から枝葉の部分を取り除いて普遍的・本質的な部分を抽出して統一的に説明することを目指すのだ。
しかし、僕はそれだけでは不十分だと思ったのだ。
例えば人体の骨格標本を持ってきて「これは人間です」と言われても
「ああこれが人間なのですね」とはなかなか思えないのだ。
それは人体の骨格なのであって人間そのものではないのだ。
人間には骨には腱がついていて筋肉があって皮下脂肪があって皮膚があって髪の毛が生えていて
頭蓋骨の中には脳がはいっていていろいろ思考するし
お腹が空いたらご飯を食べるし眠くなったりご機嫌が斜めになったりするし
泣いたり笑ったり歌ったり踊ったり冬にはスノボをしたりするのだ。
骨だけでは人間の一部でしかないのだ。
自然だって枝葉を取り除いた本質だけ持ってきて「これは自然です」と言われても
「ああこれが自然なのですね」とは思えないのだ。
本質を抽出する過程で取り除かれた大した重要性もない表面的な揺らぎとか時間にともなう変化とかそうした部分も自然の大切な一部だと思うのだ。
季節の移り変わりや一日の中で変わる日の当たり方や
植物の成長過程や葉が持つ表情のちがいがあるし。
温度や湿度が変わると植物が元気になったり色の見え方もわずかに変わる気がするのだ。
花が咲いたりモミジが色づいたりするとそれにともなって特別な感情が起こったりするのだ。
(おいおい「自然」が指すものがいつの間にか物理が対象にするものからズレてるぞ)
何というか自然を見つめる上でそういう要素も取り込みたかったのだ。
数式だけでは表現しきれない部分も自然言語を使って表現したかったのだ。
という訳で僕は俳句をやっている。
まだまだ全然上手くないけど楽しくやれている。
最近は気温がガクっと下がって霰が降ったりしている外に出ると寒さが頬に染みる。
この雰囲気も美しいものだ。
これで何か一句読めないかな?
えーっとうーん…そのー…まあそうだねぇ…