「人生の岐路に立つ標識」について

僕が好きなアーティストの一人に宇多田ヒカルがいる。

彼女の作品の「道」の歌詞には「人生の岐路に立つ標識はありゃせぬ」というのがある。

 

それはそうだろう。

僕らが人生の岐路に立つときにはきっと就職がどうとか結婚がどうとか

大きな意思決定をしていることだろう。

 

しかしそうした状況で「こちらがあなたにとって最善の選択ですよ~」なんて指し示せる能力を持った人なんていないだろう。

スーパーコンピュータでも東京大学の経済学の教授でも

将来の経済情勢とか雇用情勢なんて予測はできないだろう。

僕らの人生の岐路はそこらへんに居る人に図書館へ行く方法を聞くのとはわけが違うのだ。

他人に幸せを与える能力を持った人なんていないのだ。

 

また仮に自分の大学の学長とかが「この道に進めば君の未来は保証されている~」とか

どこかの教祖さまが「あなたは私が示した道を進めば幸せになれる~」などと宣っても

それを本気にしてついて行く人など滅多にいないだろう。

そんなことをいう人がいたら大抵のひとは警戒するだろう。

 

人生の岐路に立つ標識なんて要らないのだ。

ほっといてくれ自分で決めるから。

 

この個所を聞いているとこのことを考えてしまうのでそのあとに続くサビがぜんぜん頭に入ってこない。

こうして考えを吐き出したらすっきりした頭であの曲を聞けるだろうか?