人生のほとんどが遺伝や家庭環境で決まってしまう悲しい現実について

聖職者ニーバーさんの有名な祈りの言葉にこんなものがある:

 

「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。云々」

(ニーバーの祈り、Wikipediaより引用)

 

僕はこの言葉が大好きなだ。

人生のさまざまな事柄について

「これについては悩んでも仕方ないから他の方法でやろう!」

などと合理的な決定をするのに役立っている。

 

変えられないものを変えようと足掻いても不毛だ。

だから変えられるものを変えることに注力しよう。

そんな風に僕に合理的思考を教えてくれた。

 

学力、就職、所得、結婚や恋愛、家族との関わり方などは

誰もが大きな関心事を持つだろう。

しかし

人文系の研究者さん達が研究を進めるにつれて

こうした事柄が

遺伝子、実家の所得、親の育て方、住んでいる環境によって

方向付けられてしまう事が分かってきたという。

 

おかげで「毒親」なんて概念が流行っている。

ネット上では貧乏人や毒親のもとに生まれたことを嘆く意見が

掃いて捨てるほど溢れている。

この世界には自分の力で変えられるものがほとんど残っていないようであまりに悲しい。

 

一体どうしたらいいの?

そもそも何が出来るの?

こんな現実を静穏に受け入れるなんて簡単にできるものではないね。

 

 

子供の学力を決定する最大要因は親の学歴と所得だという。

このために高学歴でお金持ちな両親の子は

大人になっても高学歴になる。

そして高学歴な子供はいい仕事に就き

学歴を収入に変換してまたお金持ちになる。

 

親からの遺伝子に恵まれて

美人や高身長イケメンに生まれついた人は

そうでない外見の人よりも生きてるだけで大きく得をするという。

 

学校でも先生から高めに評価される、

就職や入試の面接でも有利に働く、

人事評価でも高めに評価される、

同じような罪を犯しても裁判で軽めの処罰で済む、

当然のようにモテて恋愛も結婚も有利になる、

子供のうちは児童虐待に遭いにくい

などなど大きな違いを生む。

 

見た目は努力で磨けるけれど

遺伝が大きく影響するのは周知の通りだ。

 

田舎で生まれ育った子供は

それだけで都会に住む子供よりも

教育、文化資本、情報、ロールモデルとなる人など

さまざまな資源にアクセスすることが難しい。

彼らはスタートラインに立つ時点で不利になっているそうな。

 

また貧困家庭に育ち

自分の感情をコントロールない親や

アルコールや薬物中毒の親から虐待を受けた子供達は

自分自身も大人になって貧乏になり

同じような依存症になった上に

子供を虐待するという

貧困・虐待の連鎖なんていう現象もあるという。

 

しかし社会の勝ち組たちは冷たく自己責任論を展開するという。

「自分達は努力して実力で成功を収めてきたのだ。

貧乏人が貧乏なのは本人の努力不足だ。」

 

しかし環境がもつパワーはあまりに大きい。

 

シリアの紛争地帯に生まれ育った天才少年や少女が

貧困に苦しみながら育ち

その才能を伸ばすことも出来ないうちに

ある日突然、空爆で死んだとしよう。

しかしそれが

「彼や彼女が日本やアメリカに生まれた子供達と比べて

怠けていたからだ、それは自己責任だ」

なんてことにはならないだろう。

 

一体僕の力で変えられるものがどれだけ残っているだろうか?

そんな風に感傷的になってしまう。

 

しかしそれでも

与えられた遺伝情報や育ってきた環境を受け入れよう。

今の自分ならば変えられる。

 

なぜかは知らないけれど

僕なら未来をどうとでも出来るという自信がある。

まあ何とかなるでしょって思ってる。

 

変えられる部分がどれだけ少なくても

可能性があったらやってみようと思う。

 

実際やってみて失敗するリスクはあると思う。

投資した時間も労力も無駄になることはあると思う。

でもそれは投資だから当然リスク覚悟でやるものだと思ってる。

保証なんてなくても恐怖心と戦いながらやるものだと思ってる。

 

実際僕はこれまでいろんなことをやってきたし

いろんなことを達成できた。

結構どうにかなるものだと身をもって経験したから

これからも実際どうにかなると思ってる。

 

僕は今日も明日も

絶望とうまく付き合いながら生きてくつもりだ。