これも全部コロナのせいだ!!!ーー新型コロナウイルスのせいで中国留学を断念した話ーー

 

僕はかねてから大学の留学をつかさどる部署の方から留学を勧められていたのだが

ついにもうすぐ四年生になる直前の三年後期のタイミングで長期留学する決意を固め

申請書類を書き上げて長期留学に応募した。

僕は中国の大学へ留学することにした。

 

僕は大学で中国語を勉強している。

と言っても実は僕は理系学生であり、中国語は本来卒業には全く必要ないのだが

趣味で中国語の勉強をしているのだ。

中国は今や世界第二の経済大国であり国際的な影響力も大きく

日本国内でも中国語の需要は大きい。

そんな中で僕のように理系で高い専門性を持ち、なおかつ中国語が出来る人材なら

きっと市場価値が高まると思い、中国語を勉強しているのだ。

といっても僕は大学教授になるつもりで民間企業に就職するつもりなどさらさらないのだが

中国は今後、科学研究の分野でも影響力を増していくから

中国の研究者と共同研究をする機会もあるだろうし

日本の大学には中国から多くの留学生が来るのだから

様々な事務や留学生指導においても中国語が堪能な先生がいたら重宝されるはずだから

研究者になるとしても役に立つだろうし、お金にもなると思うのである。

 

そう、僕はお金を儲けたいから計算ずくで中国語を勉強しているのである。

 

僕の留学希望校は中国のS大学で、そこは中国でもトップ3位に入るような名門校である。

中国のトップ校は日本の大学とは比べ物にならないほどレベルが高く

学生のモチベーションも格段に違うという。

またその大学は国家重点大学に選ばれており

中国国内での地位も高く、国家から多大な期待をされており予算も多く注がれている。

僕はそんな環境で学べる事ならびに中国語を訓練する機会を得られること

そして中国のトップ校で学んでいたという経歴を作れること

将来中国社会を背負って立つ人たちと少なからずコネクションを作れることを楽しみにしていた。

 

僕は授業の成績や英語の実力は十分あったし

S大学への応募者が少ないので

あとは書類を出すだけで留学できるはずであった。

 

しかしいざ書類を出す段階になって

新たな条件として中国語の語学試験のスコアを提出することを求められた。

HSKという中国語の試験で上から2番目である5級を取ることを求められたのだ。

 

これは寝耳に水であった。

なぜなら大学が配っていた資料にはそんなことは記載されていなかったからだ。

これには驚いた。

何しろ申し込みは年末頃であり

数か月後には中国政府の公式試験で上から2番目の級をとってスコアを提出しろ

と突然言われたのだから。

しかしそれ以外の条件は完璧に満たしており

他に応募者もいないため

職員さんもあとはスコアだけ出せば留学できる、と言ってくれた。

残る課題は中国語試験のスコアだけであった。

 

僕は「スコアを取ります。取って留学します。」と高らかに宣言し

HSK5級のために猛勉強を始めた。

参考書を買い問題を解き単語を覚え作文の練習もし

スマホアプリも駆使しながら中国語を勉強した。

本業である理系の科目の傍ら

大学の中国語の授業にも熱心に取り組んだ。

中央電視台のサイトで中国語のニュースやドラマを見て

ネイティブの発音に耳を慣らし中国文化のようなものにも触れた。

 

さて僕は現在石川県に住んでいるのだが

HSKはマイナー資格なので受験地が結構限られている。

そして申し込みに間に合うタイミングでHSKを受けられるのは一月だけで

その時一番便利な会場は東京会場だけであった。

そう、僕はわざわざHSKを受けるためだけに東京へ行く羽目になったのだ。

 

僕は冬休みの間も白馬のゲレンデでスノボをする傍ら

中国語の勉強に励み試験に備えた。

この頃から少しづつコロナウイルスの話題がテレビやネット記事で取り上げられ始めた。

 

そして運命の受験日、一月某日に僕は交通費数千円を費やして東京へ行った。

夜行バスの中で僕は一睡もできず

当日は寝不足の状態で試験を受けることとなった。

試験を受けた手ごたえはあった。

特に焦ることもなく緊張することもなくスムーズに一通りの問題を解き終えた。

この時の妙に落ち着いた気持ちには覚えがあった。

この大学を受験した時の試験、好成績で単位を貰った試験など

上手くいった試験のあの感覚だった。

僕は「後はどうにでもなれ」とすっきりした気持ちで会場を後にした。

この時の感覚はあとでいいことが起こるときの感覚だった。

 

僕はこの日の夕方は東京都内皇居周辺を少し散策し

そのあと埼玉に住む友人宅に泊めてもらった。

友人宅では彼のお母さんが作ってくれたカレーを食べたりした。

最後に一緒にスノボしたときの話しや別の友達のことや好きな音楽の話などをした。

翌朝テレビの報道番組を見ながら昨日のカレーの続きを食べていると

コロナウイルス問題が取り上げられていた。

この頃にはコロナウイルスの感染も拡大しており

武漢は大変なことになっていた。

実はその前の年のゴールデンウイークに

僕は一週間ほど中国に滞在していたので友達は僕がコロナウイルスを貰ってきていないか?などと冗談を言っていた。

僕は「まだ感染が始まるずっと前だから大丈夫だよ」などと返事していたが

この時にはコロナウイルス問題は僕たちにとっては全く遠い世界の出来事であり

冗談にできるような話題でしかなかった。

 

僕は留学関係の部署の職員さんに

「結果がネット上で発表されるのは通常よりも遅く一か月と一週間先になり

紙のスコアが手に入るのはさらにもう一か月先になります」と連絡した。

というのもその頃はちょうど中国の春節休みに当たるため

中国のお役所もHSKの本部も長期休みに入るため通常よりも一週間遅くなるらしかったのだ。

僕は紙のスコアが必要なときに手に入るか心配だったが

職員の方がギリギリで間に合いそうだと仰っていたので安心した。

この時期に受験したのが良くなかった

春節休みは中国にとっては大事なことだから

スコア発表が遅くなるのも仕方がない

まあ間に合うのならいいじゃないか、ととりあえずホッとして

あとはゆったり結果発表を待つだけだった。

この時にはスコアのオンライン発表や紙スコアの発送が遅れる原因は

毎年毎年必ず中国に訪れる春節だけだと思っていた。

それ以外に何かが起こるとは思っていなかった。

それから「中国のお役所はいい加減そうだから

もしかしたら宣言した期日に遅れてくるかも知れない」なんてことすら考えていた。

あの時の僕はなんておめでたかったのだろう?

スコアが遅れてくる原因が他にあるとは全く想定していなかった。

 

この間も中国ではコロナウイルスの感染が拡大し続けており

僕もいよいよ事の重大性に気が付いた。

中国に対して出入国の規制が始まったりしていた。

僕が行くはずの中国は大変なことになっている

僕は中国留学出来るのであろうか?

とても不安になった。

 

書類を出した後には面接試験があった。

この面接では中国語の質問に中国語で答えることになっていた。

職員の方にあらかじめ聞いた話では

その大学を選んだ理由や行った先で何をしたいかなどを質問されるとのことだった。

僕は面接で聞かれそうなことを色々予測して答えを用意しておいた。

中国時事ネタとしてコロナウイルスのことも聞かれると思い

コロナウイルスの中国語表記や発音なども調べ

コロナウイルス問題についてどう考えるかを作文して暗記していった。

どんな聞かれ方をしても整合性が取れるよう言い出し方や語尾を工夫して

作文して暗記していった。

"我认为冠状病毒的情况非常严重。我只是希望在我去中国之前解决冠状病毒的问题。"

「私はコロナウイルスの問題は非常に深刻だと思います。私はただ、私が中国に行く前にコロナウイルス問題が解決されていることを望むだけです。」

こんな意味のつもりの中国語作文をひっさげて面接に臨んだ。

中国語でコロナウイルスは"冠状病毒"と書くのだ。

面接で答える内容を作るためにコロナウイルスの問題について

中央電視台のニュースや日本のニュースなどを見て最新の情報を調べたら

ようやく僕も事の重大さに気がついた。

コロナウイルス問題はもはや対岸の火事などではなかった。

 

3年後期が終わってすぐの二月某日に、ついに面接が行われた。

面接では型どおりに中国語で名前や学年を聞かれるところから始まり

何故この大学を選んだのかこの大学で何をしたいのかを聞かれた。

僕は中国語でS大学が中国のトップ校であり

そこの固体物理学系の学部は国家重点科目に選ばれており

その環境と教育内容に期待できること、などを答えた。

 

そして中国語の教授でもある中国人の先生は型どおりの質問を終えた後

一呼吸置いてからこんな質問をした。

日本語で書くと

「あなたが留学したい中国はいまこんな大変な状況ですが、そのことについてどう思いますか?」

こんな質問だった。

「こんな状況」とはもちろんコロナウイルス問題を指している。

僕は準備しておいたあの「冠状病毒」の作文を唱えた。

準備しておいて良かった。

僕は多少つっかえながらも例の「祈るだけです」の作文を唱えた。

 

きっと普通ならこんな事柄まで調べて用意してあることに関して

クリティカルポイントが与えられただろう。

「冠状病毒」なんて単語を知っていた事

それをちゃんと発音出来ることに「さすが!」と声が上がったことであろう。

僕のように意欲的で積極的に学修できて知識も豊富で作文スキルもあり

入念に準備をしその場で機転を働かせた、かのようにファインプレーを決められる学生なら

大学側も喜んで留学させてくれるだろう。

しかし先生方は残念そうに、しかし僕を励ますように言った。

 

「中国は今、大変な状況になっていて留学できる状態ではありません。

今はまだその時ではないんだと思います。

自分一人が僕は大丈夫だ、と言って留学できるものでもありません。

S大学もこんな状況で受け入れられるか分かりません。

留学が始まるのは9月からですが

その頃にコロナウイルスのことがどうなっているかも分かりません。

今はその時じゃないんだと思います。」

こんな感じだった。

僕は多少覚悟していたので、ようやく何かが片付いた時の安堵感を覚えた。

先生は僕ががっかりしていると想定してか、さらに励ましの言葉をくれた。

 

「中国語ユーザーは世界中に十数億人もいます。

中国以外にも世界中にいて中国語を使う機会はあります。

だからあなたが勉強した中国語は決して無駄にはなりません。

これから勉強していく上でも

大学の中でも将来仕事に就いてからでも

中国語はきっと役に立ってくれると思います。

今年留学しなくてもまた留学するチャンスはたくさんあります。

どうが気を落とさないでください」

そんな感じだった。

しかしまだ留学できないと決まった訳ではないので

とりあえず書類はそのまま通すとの事だった。

 

先生方は中国の大学の代わりに

特別措置として他の国への留学を勧めてくれた。

普通なら応募期間をとうに過ぎていたためもう他の大学へは応募出来ないのだが

特別に今からでも他の大学へ変更していい、と言ってくれた。

先生や職員さんはアメリカやオーストラリアの大学はどうか?と言った。

そのためには今持っているのよりあと一段階高い英語スコアが必要だったのだが

それは四月か五月に用意出来ればいいそうで

春休みの間にめちゃくちゃ頑張って取りなさい、との事であった。

僕はオーストラリアの某国立大学がいいな、と思ったが

春休みには大学のプログラムに参加して一ヶ月ほどチェコ共和国に行くことになっていたので

春休みを英語の勉強に使うのにはためらいがあった。

そんな事よりもチェコを満喫し

チェコでしか出来ない経験をしようと思っていたからだ。

英語の学習なんて日本でもどこでも出来る。

参考書ならどこでも開けるし、オンライン学習もどこでも出来る。

しかしプラハ城やカレル橋はチェコにしかないのだから

そちらの方がよほど貴重なのである。

僕は別の留学先を決めかねており

後日連絡する旨伝えて面接会場のある建物を後にした。

 

チェコ共和国に留学する直前には日本でコロナウイルスの感染が拡大し始めていた。

患者数の増加が日々ニュースなどで取り上げられていた。

この頃、友達に会った時には「日本でコロナが流行っているからチェコに避難?」などと友達から冗談を言われたりした。

「別にそういう訳じゃないよ」と僕は返したが

この時もまだまだコロナウイルスは僕には直接関わりのない出来事だと思っていた。

 

 

そして僕はチェコに飛び立った。

 

 

チェコでもコロナウイルスのせいで大騒動が起こるのだが

それはまた別の記事に書くことにする。

 

その頃のチェコでは感染者は一人も確認されておらず

最初の頃、コロナウイルスはますます遠い世界の話のように感じられていた。

しかしチェコ滞在中にも中国や日本、韓国で感染が拡大し始めて

ヨーロッパにも少しづつコロナウイルスが侵入し始めていた。

コロナウイルス問題のせいで世界中に暗雲が立ちこめ始めていた。

「今年の9月頃にはどうなっているんだろう?」

 

さてチェコに滞在して二週間ほどたってからHSK5級の結果が

オンライン発表される日が来た。

結果は300点満点中200点強で合格ラインである6割を超える点を稼いだ。

晴れて僕は成績条件も語学力条件すべて満たした。

あとはそのまま書類は審査を素通りしてS大学へ行ける…予定であった。

HSKのホームページにはこんな事が書いてあった。

コロナウイルス問題のために紙のスコアの発送が予定よりもさらに遅れます云々。

紙のスコアが届くのはいつのことになるのだろうか?

 

 

 

僕はチェコから留学関係の職員さんにHSK試験の結果を伝えるメールを書いて送った。

そしてそのメールの中で、留学を取りやめる旨を一緒に伝えた。

 

 

 

僕が留学するとなると4年生なので通常なら卒業するか大学院へ進むのであろう。

僕は大学院へ進むつもりなのだが、それにだって院試の準備が必要である。

それを僕は四年生の途中で中国へ一年間留学し

帰ってきてからまた四年生になって

卒業研究の続きと院試をやろうとしていたのである。

 

しかしこんな不確実な状況で

紙のスコアが必要な時に届くかも分からない

S大学が留学生を受け入れられるかも分からない

9月にどうなっているか分からない

その時に中国への出入国が出来るかも分からない

飛行機が飛んでいるかも分からない

留学の途中で帰国命令が出るかも分からない、では

甚だしく心許なかったのだ。

9月まで留学の準備をすべきか?院試の準備をすべきか?

もし留学出来るつもりで準備していたのに

留学出来なかったら、院試とかその後のことをどうしたらいいのか?

皆目見当も付かなかった。

はっきりさせたかった。

そんな中で僕が唯一持っていた、コトをはっきりさせる方法は

留学しないと決意することだった。

そうすれば僕がやることは院試の準備だけになるから。

 

思えば大学入学当初から留学はしたいと思っていたので

これは苦渋の決断だった。

しかし院に進んでからもチャンスはある

そんな希望があったから、今年度は留学しないことを決断できた。

僕は十分なスコアが取れた事とともに上記のような考えで留学を取りやめる旨

メールに書いて送った。

スコアが発表されてからこれを伝えたのは

スコアが取れなくて、あるいは取れるかどうか心配で

勝負から逃げるみたいにしたくなかったからだ。

何の勝負かは知らないが、

どんなスコアの内容であれスコアが出てから辞退したかったのだ。

 

職員さんは二日ほどしてから僕のメールに返信してくれた。

曰く、僕の進路と今の状況を考えたら賢明な判断だ、との事だった。

ただし、こちらの大学の先生方や

S大学の多くの先生方のご協力があったことは

決して忘れないでください、との事だった。

僕は職員さんが理解してくれたことに感謝し

多くの先生方のご協力があったことは決して忘れず感謝しますと

そのメールに返信した。

さらに僕は推薦状を書いてくださった先生などに宛てて

留学を取りやめたことを伝えるお詫びメールを書いて送った。

 

こうして僕は長期留学することなく大学を卒業することとなった。

 

 

 

 

これも全部コロナのせいだ!!!

 

 

 

僕の手元にはHSK5級だけが残った(3/20現在、紙のスコアはまだ届いてない)。

HSK5級を持っていると就職で有利になるという。

僕の手元には毎月ちょっぴり多めの給与所得を産む金券があるようなものなのだろう

か?

(終)