広く浅い能力よりも一つのことを極めるほうが大事だと思うことについて

僕は趣味で外国語を勉強している。

「HJクレオパトラ計画」と銘打って

大学卒業までに7か国語を話せるようになる、という途方もない計画である。

エジプト王国の女王クレオパトラが7か国語を操ったという伝説にちなんで7という数字と名称を選んだ。

 

残念ながらクレオパトラとは似ても似つかないブス男の僕は

日々懸命に専門の授業とは別に

英語、中国語、ロシア語、チェコ語インドネシア語、フランス語を勉強しているが

やはり僕が持つ体は一つ、一日は24時間、一年は365日大学にいるのは4年間なので

出来ることにも限度がある。

 

当然出来栄えも広くて浅い詰まらないものになる。

片言のあいさつ程度なら7か国語でできるし

7か国語連続でそれを言って見せるといかにも凄そうに見えるが

実はそれも見掛け倒しで大したことはない。

それは宴会芸程度の値打ちのものなのである。

 

ところで今の時代はスマホ機械翻訳でも随分といい翻訳が出来る。

まだまだ間違いやとんでもない誤訳が叩き出されることもあるが

大まかな文意はスマホ一つで知ることが出来る。

 

また単純なコミュニケーションならばコミュニケーションボードとか言って

色々な文が書かれたカードを指させば

「おなかが痛い」とか「レストランの場所はどこ」とかその程度のコミュニケーションは容易にできるのだ。

 

もし僕がまじめに語学を収入源にしようと考えたら

労働市場でのライバルは他の外国語話者だけでなく

スマホの翻訳機能などの技術とも競争しなければいけないのだ。

 

初歩的な外国語によるコミュニケーションなら

わざわざ苦労して単語や文法を覚えて読み書き会話リスニングの訓練などしなくても

スマホを使えれば出来てしまうのだから

そちらの戦略の方が経済的だ。

 

こうした技能が市場で価格を持つためにはある程度高度なレベルに達していることが必要なのだ。

人間が仕事をする以上、機械にも出来ることを人力でやっても意味がないのだ。

そうなると語学を収入源にするためには

高度な文学作品や学術書を書くとか翻訳するとか

相手がどこの国の人であろうと変わらない

相手の気持ちや立場を理解し友好的な関係を築くコミュニケーション能力とか

そういったものが大事になってくると思うのだ。

 

いわゆる「10000時間の法則」というものがあって

何かの分野で世界的なプロフェッショナルのレベルに達するには

10000時間の勉強や訓練が必要なのだという。

 

してみると僕が今やっているような広く浅く戦略は

少なくともお金にはならないし特に役にも立たないだろう。

 

主観的な楽しみや満足は得ているが

でもそれは贅沢な消費の範疇を出ていないだろう。